男女の平等や
人権侵害
人種差別
セクシャリティの平等…
これらは皆さんにとってどんなものでしょうか

自分には何ら関係ない非日常、
または
一部の人が戦っている
なにか遠いもの…という印象でしょうか

意識はあり、議論の必要性も理解もするが
日常特に身近に感じていないものでしょうか

私の場合は実はこれ、
意識しなくとも本当に毎日、様々な場面で
触れる機会があるものです。
宗教の尊重において
先月も会社の会議で話題になりました。
「クリスマスセールと言うネーミングがふさわしいかどうかについて」
深い意味もなくクリスマスセールって口走るのは
基本NGなことを思い知らされます。
いくら多くの国民が祝うものだと言っても、
みんながみなクリスマスをするわけでもないので
ホリデーシーズンセール
などのほうがふさわしい、と訴える人がいるからです。
日本人の大半は異宗教を宗教として接する機会が少ない生活なので
どっちでもいいじゃん!?と思いがちですが
こういうところカナダでは結構しつこく訴えられます。
この時期だからといって軽々しく誰にでも
メリークリスマス、とか言うのもだめです。

これは・・・まさかの(笑)不動産屋の広告ですがメリークリスマスを意味するJoyeux Noëlではなく「Joyeuses Fêtes」つまりフランスで言うところのハッピーホリデーになってます。
セクシャリティの区別において、
うちの部署(ファッション業)で
レディースとメンズの商品を仕分ける場合、
例えば
レディースの箱を赤、
メンズの箱を青、
というのも厳密にはNG、みたいなことです。
色分けにより男女の区別に偏りがあってはいけない、というのです。
そもそも性別も容易に分けられない世の中になっています。
カナダ政府関係の正式な書類などの性別欄が
□男性
□女性
□X
と三択制になっていたり、
はっきりと男女で分けるような仕組みにしては
当てはまらない人がいるため
国単位で細かいところにも対応、配慮がなされています。
戸籍上の性別、
生まれてきた時の性別でくくることは避け、
現時点で自分の意識としての性別で話や手続きをすすめるためです。
以前のブログでも触れたことがありますが、
履歴書にも性別を入れる欄が一切ありません。
メールのみでやり取りしている仕事先の相手が、男性とばかり思っていたら
実は女性(あくまで見た目)だった、ということも少なくありません。
相手がどのセクシャリティに当てはまるとしてもしなくても
接し方に違いがあってはならないのです。
人種差別、文化差別においては
チャット機能の「いいね」のグーサインの手が肌の色で
選択できるのもかなり前から導入されています。

先日カナダ出身の女優さん(男優さんというべきかな)エレン・ペイジが
トランスジェンダーであることを公表し
名前もエリオットという本来男性の名前として使われるものに変えたのも
記憶に新しいところですが、
なぜその記事が「イタすぎるセレブ達」の記事になっているのか?というのも
正直、なにがイタいのか?・・・腹立たしいです

(詳しくはこの記事→こちら)
この記事が言っている代名詞に性別のわかるheやsheではなく
Theyを使うのも(本来theyは複数代名詞ですが…ここの意味では単数代名詞としての使用)
うちの会社で導入済みです。
顧客やクライアントから連絡があった、という時
She contacted us yesterday.
ではなく
They contacted us yesterday.
と性別の区別なしに事柄を伝えるのが重要であり、必要となっています。
人種差別においては
同僚に同じ言語を話す国から来た人達がいて
その人たちを「あの人たち」とくくって話をすすめるのもNGです。
個人個人の尊重なので
何らかの文化的グループで指摘すると
差別とみなされる可能性があります。
でもこの微妙な「差別と区別」の境が
どうも最近とてつもなく厄介なものになってきているのも事実

ハロウィンだってそうです。
仮装すればなんだっていいわけではなく、
黒人がマイケル・ジャクソンの仮装をしてもいいけど
白人がマイケル・ジャクソンやったらレイシストだと。
日本人の私が着物を着てもいいけど
他の国の人が着物を着たら日本人への侮辱になる、とか
そういうことになるらしいです。
個人的には
ハラスメントと同じで
見て受け取る側が侮辱と思うかどうかによるので
一概に言えないと思うのですが…
近年はそういうものに対する意見が活発化して
正直ついていけませんが(笑)
先日、手術後の休職中に
職場から花束が届いたのですが
見事に菊の花でした(笑)こちらでは普通の花と同じように扱われる花です
日本人に菊の花を送るのはタブーじゃんか(笑)と笑ってしまいましたが…
これも「知らなかった」では済まされなくなってくるようなレベルの話。
私がこれを文化的にNGで侮辱だと、強く訴えたら大問題になるところです。(しませんが 笑)
大切なことの基本は
いろんな違いがあっても
お互い尊重し
生活していくこと。
これはどこの国の人も同意するところで有りたいと願いますが
日常に潜む差別は多々あるはずです。
とにかく日本人の数が圧倒的な日本、
男女の平等は昔の意識がまだまだ根強い日本、
外国人と日本人の境目を分けて接する日本、
ハーフでさえ日本人と接するのと態度が違う日本、
帰国子女に対してでさえです…
差別に対しての意識はまだまだ低く
それを熱烈に日常問題視する日は
まだまだ先なんだろうな、
と異国の地で思ったりしています。
最近日本人の顔を日本語センターのオンライン授業などで見るせいもあるのか
娘(4歳)が
「なんで日本人はこんななの?」
と
目を細める真似をしながら
聞いてきました。
頭では娘のピュアで率直かつ素朴な疑問
に笑ってしまってる自分がいますが
幼い娘だとしても、これを公の場で発言、会話させるわけにはいかないのです。
ここで私が見た目の違いを真似したりすることは不適切だよと
ちゃんと娘にわかる言葉で説明し
理解してもらわないといけません。
今の段階では娘の意図に差別的要素がないにしても、です。
突然のことだったので
「そういう見た目に気づいてよく観察しているね…」
と言って、その後言葉に詰まりました。
親として人としてうまく説明できるか、これからできるようになるのか自信がありません。
「いろんな顔の人やいろんな髪の色の人がいて面白いでしょ?みんな美しいよね!あなたも半分日本人だしね、ママと似てるしパパとも似てるよ。」
とだけ言っておきました。
う〜ん…どうしたものか。
子育てに正解はないと言っても
これはかなり悩みます。
しかし
先日知り合いの日本人が
「うちの子供に同性愛者がキスしてたりするところは見せたくないので、同性愛者の友達には子供の前では辞めてね、と言ってあるの。」
というのを聞いて
とてつもなく違和感を覚え…
これは絶対カナダで暮らしていくうえであってはならない、と感じます、親として。人間として。
しかも子供への影響として。
親がタブーとして事実を隠すように扱えば
自然と子供もそれは何かいけないこと、おかしいこと、と認識し始めるのではないでしょうか?
隠すのではなく見せていければ
なんてことない日常に盛り込まれる上で
こんなこともあるのだな、こんな人もいるんだな、
と感じてくれるはず。
多分私なんかよりもっと意識の高い人がこの人の発言を聞いていたら
きっとその場で恐ろしい批判と議論になったことでしょう。
差別意識や人権の存在と知識は
子供がもう少し大きくなってから(そもそも大きくなってからっていつ?)教えることではないと、
いやそれでは手遅れになりかねないと個人的には思います。
親として
子供のこの分野の教育に正しい接し方や
適切な助言がはっきりと分からなくても
常に模索していくべきだと日頃から思うのです。

今年は新居に本物のもみの木を飾りました。
生き物なので世話は必要ですが家中にいい匂いがして最高です!
クリスマスツリーではなく(ただの)ツリーと娘には言っています。
一応夫はカトリック教徒出身の家系なので(本人はその感じはないですが)クリスマスを祝いますが、この時期の一部の人のお祭りくらいな感覚で娘に伝える努力をしています。



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